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【映画】JOKER 気付いたら暴力を肯定する自分がいる

評価:☆4.2

 

JOKERを視聴しました。

僕がこの映画を初めて見たのは公開当時の映画館ですが、例によってAmazon Primeで配信されていたので改めて観ました。

 

いやあ……面白いですよ、この映画は。

 

巷では評価が二分しているようですが、僕は圧倒的に「賛」の側です。確かにChristopher Nolan監督の「ダークナイト」とは全く違うタイプのJOKERなので、それを期待して見るとガッカリするかも知れません。

ただ、ダークナイトと違ってどこまでも「現実的」なJOKERで、創作物の登場人物という気がしない。リアルで生々しいJOKERです。そういう意味で、捉え方によっては危険な映画だと思いました。

 

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DIRECTOR

Todd Phillips

CAST

Joaquin Phoenix

Robert De Niro

Zazie Beetz

Frances Conroy

音楽

Hildur Guðnadóttir

公開日

2019年10月4日

上映時間

122分

製作国

アメリカ合衆国

製作費

$55,000,000

興行成績

$1,074,251,311

IMDb

☆8.5

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本当の悪は、人間の笑顔の中にある。 

 

「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。

都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフフィーに密かな好意を抱いている。

笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気あふれる<悪のカリスマ>ジョーカーに変貌したのか?

切なくも衝撃の真実が明かされる!

(公式サイトより引用)

第76回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞、第92回アカデミー賞で最多11部門にノミネートされ、主演男優賞と作曲賞を受賞。R指定映画として史上初の10億ドル超えを達成。主演を務めたホアキン・フェニックスは、元々80kg以上あった体重を、過酷な食量制限によって58kgまで減量して臨んだ。

 

1. ストーリー解説

※当然ですがネタバレ含みます。画像は、映画「JOKER」より引用。

1.1 弱者

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まず映画が始まると、主人公のアーサーが徹底的に虐げられる世界が描かれます。弱者はさらなる弱者を虐めて笑い、アーサーは痩せ細り、母親の介護をしながら貧しく暮らします。同じアパートのソフィーに片思いし、コメディアンになることを夢見てしばしば妄想しますが、脳に障害を抱えており、何でもないところで突然笑い出してしまうアーサーは、周囲からも気味悪がられて常に孤独です。

 

序盤からいきなりしんどい。

何でしょうね……既にお分かりかと思いますが、この映画はおそらく体力がある時に視聴した方が良いです。なかなかメンタルを削ってくる映画です。とは言え、まだまだ序の口。しんどいのはこれからです。

 

1.2 変化

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「今までは存在してないも同じだった」

仕事をクビになり、帰宅する道中でエリート証券マンに絡まれ、アーサーは突発的に彼らを銃殺してしまいます。その後、アーサーは不思議な高揚感に包まれ、逃げ込んだ先の公衆トイレで踊り始めます。

翌日ニュース番組で事件が取り上げられ、貧困層の富裕層に対する反逆であると報道されます。新市長候補のトーマス・ウェインは、犯人を「ピエロ」扱いし、それが原因で貧困層の怒りが爆発。大規模なデモを引き起こすまでに発展します。

これを見てアーサーは、「ちょっと前まで誰も僕を見ていなかった。僕は存在しないも同じだった」と語り、 自分が暴力という形で初めて社会に関わったことに快感を抱きます。

片思い中の女性――ソフィーとのデートも良い雰囲気で、殺人という罪を犯したことを切っ掛けに、アーサーの価値観が変わっていきます。

 

1.3 疑惑

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「我々はピエロだ」

母親のペニー・フレックが書いた手紙をこっそり読んだことで、自分があのトーマス・ウェインの息子かもしれないという疑惑が生まれます。事実確認のためにトーマスの屋敷を訪れますが、執事のアルフレッドからは「お前の母親は虚言癖のあるイカレ女だ」と否定されます。

帰宅すると、ペニーが救急隊に運ばれている所でした。一緒に救急車に乗って病院に向かうアーサー。駆け付けたソフィーと母親を見守る中、憧れのマレー・フランクリンの番組に自分が取り上げられているのを目にします。突然のことに驚き歓喜するアーサー。しかし、それはアーサーが認められたというわけではなく、粗末なショーを笑いの種にするためでした。自分が笑いものにされていることに、アーサーはひどく傷つきます。

翌日、富裕層に対する大規模なデモが行われる中、アーサーは監視の目をすり抜けてトーマスに無理やり会いに行きます。自分が息子であること、自分がトーマスと似ていることを必死に主張しますが、「ありえない。彼女とは寝てないし、そもそも君は養子だ」と告げられます。何のことか分からないアーサー。「聞いてない? うちで働いていた時にペニーが君を養子に」と説明されますが、アーサーは信じられません。嘘を付くなと激高し、早口でまくしたてますが、タイミング悪く笑いの発作が出てしまい、「笑いごとか? 息子に近づいたら殺す」と脅されて殴られてしまいます。

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物語の序盤で、アーサーがマレーの番組に出演しているのを妄想するシーンがあります。妄想のマレーは、アーサーに「照明、舞台、観客。もし君が息子なら、私はこれらを全部捨てる」と語っており、アーサーにとってマレーはの精神面の父親だったことが覗えます。そしてトーマス・ウェインには本当の父親疑惑がありました。つまり、アーサーは二人の父親から存在を否定されたことになります。

 

1.4 崩壊

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「あの子、笑うのよ。ハッピーな笑顔で」
トーマスの言っていたことが事実か確かめるため、アーサーはアーカム州立病院に赴いて当時の書類を要求します。そこに書かれていたのは、トーマスが言った通り、アーサーが養子であること。そしてアーサーの「突然笑い出してしまう病気」は、虐待による頭部外傷が原因だったことが明かされます。今まで介護してきた母親こそが、自分に障害を与えた要因の一つだったことを知るアーサー。しかし、ここでも発作が出てしまい、アーサーは泣きながら大笑いします。

大雨の中、アーサーは残る唯一の温もりを求めてソフィーの部屋に向かいます。しかし様子がおかしい。明らかにソフィーはアーサーを恐れ、不審者でも見るような態度を取ります。そこで、今までソフィーと過ごしてきた時間は全てアーサーの妄想であり、最初からアーサーはずっと独りだったことを知ります。

ここでは、今まで心の拠り所にしていた現実と妄想の世界が全て虚構であったことが描かれます。

 

1.5 変貌

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「僕の人生は喜劇だ」

国から見捨てられ、父親から存在を否定され、拠り所にしていた世界すら全てまやかしだった。アーサーはしかし、どこか清々しい表情で病室のペニーに語ります。

人生は悲劇だと思っていた。

でも違う。

僕の人生は喜劇だ。

そしてアーサーはペニーの首を絞めて殺害します。

帰宅後、アーサーがピエロのメイクをしていると、かつての同僚であるランドルとゲイリーが訪ねてきます。アーサーの母親が亡くなったことを聞き、励ましに来たのだと語りますが、実際には以前アーサーに渡した拳銃の出所について口裏を合わせるためでした。どこまでも自分のことしか考えないランドルの喉元に、アーサーは躊躇なく鋏を突き刺します。そのまま壁に何度も叩き付けて殺害します。

最早かつての気弱で弱者だった青年はどこにもいない。アーサーは、小踊りしながら階段を降り、追ってくる警官を撒き、暴徒に圧し潰される様を見て笑い、堂々とした佇まいでマレー・フランクリン・ショーの舞台へ向かいます。

 

それにしてもJOKERへと変貌する際の映像が美しい。

母親を殺害するシーンは窓から光が差し込んでいて、まるでアーサーが神々しい何かに変わっていくように見えます。メイクしながら踊り狂うシーンも、全身に光を浴びていて、まるで何かに祝福されているようです。かつて辛そうに上っていた階段を、今度は楽しそうに下りていく様は彼の人生の比喩でしょうか。恐ろしいのは、アーサーの凶行を咎める気になれないことです。壊れてしまったアーサーに、寧ろ安心感すら感じてしまう。これが、この映画の恐ろしい所です。

 

1.6 終劇

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「That's life」

これまで描かれてきた、この映画の終着点です。

マレー・フランクリン・ショーに出演したアーサーは、当初、拳銃自殺を披露する予定でした。しかし、本番中にネタ帳を開き、「この人生以上に"硬貨"な死を望む」という自分のネタを見て考えを変えます。

誰もが善悪を主観で決めている。

同じように、喜劇も主観である。

笑えるか、笑えないか。自分が決めて、自分が笑える行動をすればいい。

そして、アーサーは自分が最高に笑える行動、つまり、自分を裏切ったマレー・フランクリンを銃殺することで、自分が笑うことを選びます。

街では暴動が起こっていました。各々が好きなように暴れ、好き勝手に振る舞った結果、ゴッサムは至る所で火の手が上がっていました。その光景が、アーサーの目には美しいものに映ります。アーサーは暴徒の中心で血のメイクをし、歓声を浴びて場面が変わります。

 

2. 考察

2.1 JOKERは悪のカリスマではない

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おそらくヒース・レジャーが演じたJOKERとの決定的な違いがここです。本作でホアキン・フェニックスが演じたJOKERは「天才的な悪のカリスマ」ではなく、貧しく社会的地位の低いただの青年です。何か崇高な目的があるわけはない。知略を巡らした孤高の犯罪者でもない。ただ自分が楽しいから、ただ自分が笑うためだけに、後先考えない犯罪を繰り返す幼稚な犯罪者です。

人によっては、ここを不満に感じるのでしょう。

バットマンシリーズのJOKERという人物には、ある種の崇拝に近い感情を抱いているファンがいます。常人には理解できない哲学を持ち、常人では真似できない才覚で以て事件を裏から操る存在。そんな理想を抱いているファンも少なくありません。だから、本作のような「どこにでもあるような理由」でJOKERへと変貌したアーサーを受け入れられないんだと思います。

ただ、僕はそれこそが本作の恐ろしい部分だと思います。

どこにでもあるような理由でアーサーがJOKERに変貌したのであれば、我々が生きる現実の世界にもJOKERが生まれる可能性があるということです。我々が普段から邪険にしている人たち。知らず知らずの内に差別し、「黙っていい子にしてろ」と蔑ろにしている存在が、いつかJOKERとなって牙を剥くかもしれません。この映画は、そういう意味も含めた警告なのかもしれません。

 

2.2 虐められる側から虐める側へ

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序盤でアーサーのネタ帳が映されるシーンがあります。そこでは、「心の病を持った人間にとって最も不幸なのは、普通であることを強要されることだ」と書かれています。

アーサーは薬を内服し、周囲に合わせて笑い、必死に普通であろうとしていました。しかし、そんなアーサーを、世界はひたすら虐め続けます。見て見ぬフリし、ゴミのように扱い、「黙っていい子にしてろ」と相手にすらしない。アーサーは結局、人を笑わせるコメディアンではなく、人に笑われるピエロにしかなれませんでした。

だから、アーサーは演じるのを止めます。「これが本当の僕だ」と。苦労して階段を上るよりも、小踊りながら階段を下る道を選んだのです。

喜劇なんて主観だとアーサーは言っています。

アーサーは子供の頃にペニーの愛人から殴られた外傷が原因で、突然笑い出す病気を抱えていました。自分が面白いと思ったことは他人に理解して貰えず、他人が面白いと感じることには共感できない。そして自分は意思に反して笑い出してしまう。アーサーが心から笑うためには、JOKERになるしかなかったと僕は思います。映画で語られたのはパズルのピースのようなものです。どれが欠けても、アーサーがJOKERになることは有り得ませんでした。奇跡的に全ての出来事が噛み合って、アーサーはJOKERへと変貌を遂げるのです。

だから彼がJOKERに変貌した際、どこかホッとしてしまう自分がいるんですよねぇ……

もうこれで、他人から虐められることも無い、笑われることも無い。何故なら自分が虐めて笑う側になったから。

知らず知らずの内に暴力を肯定してしまう。そんな危険な映画です。

 

2.3 ラストシーンの謎

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さて、問題のラストシーン。アーサーがアーカム州立病院にいるシーンですが、これについては様々な説があります。

結論から言ってしまうと、正しい解釈なんて存在しません。観た人間の数だけ解釈が存在すると思いますし、Todd Phillips監督も、仄めかすだけで明言は避けています。ただ、一つ明らかになっているのは、「ラストシーンのアーサーの笑いだけが、唯一彼の心からの笑いである」ということです。

問題なのは、この映画が全てアーサーの視点から描かれていることです。ソフィーとのデートが代表的ですが、この映画にはしばしばアーサーの妄想が含まれます。しかも上手いことに、観ている我々からは、それが妄想か現実か分からないように描写されています。つまり、アーサーはいわゆる「信頼できない語り手」であるということです。

そうなると、全ての前提が揺らいでしまいます。どこまでが本当で、どこまでが彼の妄想なのか。これは観客である我々には一生分かりません。そのため、以下はあくまで解釈の候補となります。

 

解釈①

事件の後、アーサーは捕まって精神病院に入れられた。かつては発作があったが、JOKERへと変貌してからは改善し、今では笑いたいときに笑えるようになった。トーマス・ウェインが暴徒に殺されるシーンは妄想であり、二人の父親――マレーとトーマスへの復讐を叶え、ブルース・ウェインが独りぼっちになることを想像してアーサーは笑う。そんな彼の妄想など他人が理解できるはずもなく、アーサーは「理解できないさ」と言って「That’s life」を口ずさむ。

 

解釈②

そもそもこの映画自体がJOKERの妄想――ジョークであり、アーサー・フレックというのは架空の人物である。もしも、アーサーという青年がいたとして、彼が原因でブルース・ウェインの人生が狂い、宿敵バットマンとして自分の前に立ちはだかることになったとするなら。それはとても笑える話――最高のジョークだよね、と想像してJOKERは笑う。そんな彼のジョークなんて他人が理解できるはずがなく、JOKERは「理解できないさ」と言って「That's life」を口ずさむ。

 

みなさまはどのように解釈しましたか?

 

3. 感想と評価

僕は普段、映画を観に行きません。理由は単純で、お金がかかるからです。あと、映画館というのがそもそもあまり好きではありません。隣に座っている人間が上映中にベラベラ喋っていたら不快になるし、前の人間の頭が邪魔だと良く見えないし、上映中に席を立たれたら気が散ります。持ち込み禁止のくせにポップコーンやドリンクはぼったくりの値段ですしね。

だったら金曜ロードショー、或いはAmazon Primeで配信されるまで待てば良くね?というのが普段の僕です。

でも、この映画は珍しく観に行きました。タイミングが良かったというのも理由のひとつですが、友人の映画ヲタクが激推ししてきたというのが大きいです。

曰く、ホアキンのJOKERはヒースのJOKERにワンチャン並ぶ、と。

当時の僕はダークナイトすら観たことが無かったので、そんなことを言われてもいまいちピンと来ませんでしたが、何となく凄そうだったので観に行きました。

 

観終わった後はすごく微妙な気持ちでした(笑

 

おそらくこの映画を観ている人は、アーサーに自分を投影することになると思います。それは仕方ないことで、アーサー・フレックという人間の人生が、ひたすらリアルで生々しいからです。視聴者は自分=アーサーとなって、物語の序盤でひたすら社会に虐げられます。

 

でもふとした瞬間に、自分=虐めている側の視点になるんですよねぇ……

 

この映画を観た人なら絶対に思い当たる節があるはずです。

普段生活していて、頭の悪い人を見下して笑ったり、惨めな人を蔑んで笑ったり、芸能人のスキャンダルを見て笑ったりしたことが、今まで生きていて一度くらいはあるんじゃないですか?

「本当の悪は、人間の笑いの中にある」というのがJOKERのテーマです。我々は自分=アーサーとして社会に復讐する一方で、自分=社会として復讐される視点も持つわけです。

 

だからどこか後ろめたいんですよ。

 

何だろう。観終わった後も全然スカッとしない。アーサーが楽しそうでホッとする一方、結局最後に謎が残るしモヤモヤします。解釈の幅が広がるということで僕は好きですが、全体を通して、他人に手放しで薦められる映画ではないと思います。

 

とは言え評価は別物。こんな映画が凡作のはずがない。それどころか良作の枠すら超えるでしょう。間違いなく名作です。

例によって評価点はあくまで僕基準なので、色々な意見があって然るべきだと思います。この映画が嫌いな人もいるでしょう。ただ、少なくとも凡作ではありません。観たことが無いという人は、一度くらい観てみても良いのではないでしょうか。

長々と読んで下さってありがとう御座いました。